何をやるのかよりも、〇〇のほうが大事

ハイエフィカシー!

久しぶりの投稿となりました。

みなさん、お元気でお過ごしのことと思います。


さて久しぶりの投稿ということですが、いきなり過激にいきたいと思います。

たまには、刺激ある料理もいいですよね。

見た目はそうでもないけれども、味わっていくと刺激がでてくるといった感覚です。

さてテーマですが、

「何をやるかよりも、誰といるかのほうが大事」

ということです。

似たような言葉を聞かれたことはありませんか?

自己啓発や成功哲学といったジャンルでも、こうしたフレーズを耳にすることがあります。

もちろん、我々は苫米地式コーチングという観点から捉えていきます。

「何をやるかよりも、誰といるかのほうが大事」

どうでしょうか?

ゼロか百か、の表現ですから極論です。

暴論、と思われる人もいるでしょう。

もしかしたら、私がこれまで言ってきたことと矛盾する、と思う人がいるかもしれません。

ー 何をやるかが大切なはず。

ー 他人は関係ないでしょ。

ー やる内容よりも誰といるかのほうが大事なんて、意味わかりません。

こういうふうに感じるお気持ちは良く分かります。

私も無条件で「何をやるかよりも、誰といるかのほうが大事」と言っている訳ではありません。

まずは、このフレーズにぴたりと当てはまることわざがあるので紹介しましょう。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」

このことわざは、寺の門前に住んでいる子供や、いつも僧のそばにいる子供は、日頃から僧の読経を聞いているから、いつのまにか自分もお経を読めるようになるという意味です。

門前の小僧は、お経(仏教)を習いに来たわけではありません。 僧のそばで何をしていたか、と言われれば遊んでいたり、読経をみていただけでしょう。

でも、お経を覚えてしまっているわけです。

おそらくその小僧に、どうやって覚えたの?と聞いても、わからない、いつのまにか覚えた。自然と覚えた、というような返答でしょう。

ことわざになっているぐらいですから、当然当時(江戸時代ごろ?)からこうしたことは実際にあったし、よくあることだと当時の人々は考えていた、ということです。

箇条書きで整理すると以下のようになります。

・何をしていたか ⇒ 遊んでいた、みていた

・誰といたか ⇒ 読経をする僧と一緒にいた

・どうなったか ⇒ 習ってない読経ができるようになった

・どのように ⇒ わからない、自然と、無意識に

こうしてみると、冒頭から繰り返し言っている「何をやるかよりも、誰といるかが大事」ということが納得できるようになってきませんか?

さて私が無条件ではない、といったのは「どのように」の部分です。

門前の小僧は、お経を習おうと思っていなかったのに、自然と・無意識に覚えてしまったのです。

なぜ?

そういう環境にいたからです。

そういう環境とは読経する僧、すなわち誰といたかです。

読経できるようになったのは、その場で何をしていたかではなく、読経する僧、誰といたかで決まっているのです。

人は自分の置かれている環境によって、無意識に影響を受けているという意味が込められているわけです。

特に、誰といたか、という人に我々は大きく影響を受けます。

広い原っぱに、ぽつんと一本の樹が立っているのと、ぽつんと一人の人間が立っているのでは、我々が受ける印象はかなり異なるはずです。

私たちは人間を重視しているのです。

では、我々は、このことわざをどのように活用していけるでしょうか?

注意点はあるでしょうか。

そう、注意点は私が先ほど言いかけた「無条件ではない=条件」です。

条件とは、自分のゴールを基準として、誰といるかを選んでいく、ということです。

自分のゴールに近づく、プラスになると考えられる人と一緒にいる。そういう場に縁起をつくっていく。

反対に、自分のゴールに関係ない、あるいはマイナスになる人とは一緒にいない、ということです。

勿論スコトーマがありますから、あなたがプラス/マイナスと判断したことがそうではない可能性もあります。

自分のゴールの世界を一部体現しているような人と一緒にいる。

そうすることで意識できる言語情報も沢山得ることが出来ますが、それ以上に無意識に得ることが出来る非言語情報があることをぜひ知ってください。

ものまね名人と言われる人がいます。

その名人は、まねする対象の人に直接会ったり、映像を何度もみているはずです。

当然ですよね。

紙に書いた言語情報だけを渡されて、だれかのものまねをしろ!と言われてもできないわけです。

言語情報以外の情報がものまねの似ている、似ていないを左右します。

非言語情報で多くのことを得ているということですよね。

私たちがゴールに関係する人と一緒にいることで得られている情報の大きさは計り知れないのです。

「何をするかよりも、誰といるかが大事」

一人部屋に閉じこもって、ゴールの世界に近づこうとウンウン唸っているよりも、ゴールの世界に関係する人、場所につながっていく。

ゴールにしたがって、誰といるのかを決めるのです。

しかし、イケメンだから、美女だから、そんな人と一緒にいたい、というのは単なる煩悩です。

否定はしませんが、今回の趣旨と違いますのでご注意くださいね。